ご縁つなぎ対談③

女3人姦しい(KASHIMASHII)を開催致しました。

第3回は、特別編として、2023年2月5日(日)、南アルプス市の櫛形生涯学習センターにて、飯田秀實さんの随筆・写真集『山廬の四季』の発刊を記念した写真展が同時開催される中、お客様を招いて行い、お客様からも質問を受けつけて大いに盛り上がった、新春トークショー「女3人姦(かしま)しい~一華開五葉 結果成自然(未来の種は、今、ここにある)」の採録をお届けします。

小さなきっかけからご縁がつながっていく

ゲスト

大西かや(UTYテレビ山梨・制作部専任部長)

飯田多惠子(サロン・ド・さんろ 主宰)

舩木上次(萌木の村株式会社 代表取締役村長)

飯田秀實(一般社団法人 山廬文化振興会 理事長)

主宰 笹本清美

白根運送株式会社 代表取締役

司会 大谷泰志(PHP研究所・第二事業グループ理事)

協力 PHP研究所

写真 小池彩子

構成 中川和子

(プロフィール)

●大西かや(おおにし・かや)

徳島県生まれ。1993年UTYテレビ山梨にアナウンサーとして入社。現在は制作部の専任部長として、月〜金曜夕方4:45〜の『スゴろく』で総合演出や特集、中継を担当している。

●飯田多惠子(いいだ・たえこ)

東京都生まれ。結婚を機に笛吹市へ。山廬文化振興会の学芸員、運営委員。「サロン・ド・さんろ」を主宰し、洗練されたライフスタイルを提案。やまなし大使も務める。

●舩木上次(ふなき・じょうじ)

山梨県清里生まれ。清里の父ポール・ラッシュ博士に影響を受けて育ち、萌木の村開発に着手。18施設の集合体を作り上げた。清里の夏の風物詩「清里フィールドバレエ」を30年以上にわたり実施している。

●飯田秀實(いいだ・ひでみ)

山梨県東八代郡で俳人・飯田龍太の長男として生まれる。祖父・飯田蛇笏と父が過ごした山廬の維持管理などを行うため、2014年に山廬文化振興会を設立、理事長を務める。2022年に随筆・写真集『山廬の四季』(コールサック社)を上梓。

●笹本清美(ささもと・きよみ)

1992年に先代の父から社長を引き継ぐ。主に飲料水などの食品を取り扱い、倉庫業、請負業も手がける。社員教育の一環としてお茶席の体験など文化体験会を積極的に行う。裏千家教授。

(敬称略)

■ちょっとしたきっかけでつながりができる

司会(大谷) 今日ここにお見えになっているゲストの方は、笹本社長のご縁がつないだ方たちですが、まず、それぞれの方とどういうご縁があったのか、ここからお話を進めていただければと思います。

笹本 ここにいる女性3人は年に数回、女子会を行っております。かやさんと知り合ったのは女性経営者の番組で、4年前でしたか?

大西  NHKとUTYのコラボシリーズで、調べたら2019年の8月27日に笹本社長の回を放送しました。実は山梨は女性社長の比率が沖縄に次いで2番目に多いという統計があります。3回目の放送で「男性スタッフを束ねる女性経営者を取り上げたい」ということで、いい人がいないかと探していた折り、笹本社長をご紹介くださったのが飯田秀實さんです。飯田秀實さんはUTYの局長をしておりましたので、私の直属の上司でした。

飯田(秀) 大西さんからその話を聞いて、真っ先に頭に浮かんだのが笹本さんでした。笹本さんは「中庸会」という異業種交流会で面識があり、白根運送に講演に伺ったこともあります。白根運送のトラックとすれ違うと、タイヤのホイールがいつもピカピカなんです。何十万キロと走るようなトラックが、いつも磨きあげられている。それが印象的でした。

そのような会社の経営者がどんな方なのか? ぜひ一度、取り上げて欲しいと大西さんに話したら、すぐに取材に行ってくれました。ちょっとしたきっかけでつながりができました。ご縁という感じがしましたね。

大西 38歳でお父様から会社を受け継ぎ、倉庫業を始め、請負業も加え売り上げもお父様の代から4倍に増えたというお話を伺って、その腕力というか、バイタリティ、ポジティブさみたいなものをすごく感じました。だいぶ持ち上げましたけど(笑)。

笹本 ありがとうございます。多惠子さんからもひとことお願いします。多惠子さんは飯田(秀實)さんの奥様でいらっしゃいます。

飯田(多) 私は先日、清美ちゃんにお願いして、超新型のトラックに乗せていただきました。ドライバーの村松さんに、お世話になりました。左にカーブするときに左側が見にくくなること、それを補うために安全窓や探知するレーダーが設置されていることも知りました。われわれ歩行者も十分気をつけないといけないですし、とても勉強になりました。

■ご縁を結ぶと新しいことができる!

笹本 かやさんは徳島のご出身ですが、なぜ山梨へ?

大西 私は徳島の北島町という田舎で18年間育ちまして、その後、神奈川大学に入学しました。大学生のときに先輩がラジオ局のアナウンサーになったのがきっかけですが、それより前の記憶をたどると、NHKのラジオをよく聞いていました。母が夏休みに「今日、流星群が見える」とラジオで聞いて、ふたりで空を見上げて、実際、5つも6つも流れ星を見て、少し幸せな気持ちになったのです。

誰かの思い出のきっかけになったり、その元になる情報を発信できたりする人間になりたいとアナウンサーを志望して、最初に来ていいよと言ってくれたUTYに入社しました。

笹本 舩木さん、「清里フィールドバレエ」のこと、話してもらっていいですか? 今年で34回?

舩木 今年で34回を迎えます。清里で「フィールドバレエ」をなぜやったかと言うと、何か文化事業をやりたかったんです。最初は「バレエなんて東京のお金持ちが見るもんだ」と周囲に言われました。でも、何年もやっていると知り合いが見にくるわけですよ。最初は「バカか、おまえは」と言っていた友人も、今では孫を連れて東京にバレエを見に行っています。

国内でも小布施とか湯布院とかは文化を中心とした街作りをしています。そうなると、そこで作っているものに価値がついてくるのです。京都なんかがまさにそう。地方でも質の高い文化の香りがする街を作れば、「ここに生まれてきてよかった」と感じることができると思い、フィールドバレエを続けています。

笹本 今やフィールドバレエのチケットもなかなか取れなくなっています。

舩木 これからの時代、AIにできないことは五感で感じる力だけなんです。基本的に五感で感じる力は、それぞれの人たちが個別に持ってるものです。その能力は実は大都会では育たない。地方の自然の中で育つものと考えています。

山梨にはウイスキーやワイン作り、宝飾など、すごい技術者がたくさんいるのに、それを地元の人が知らないために、そのメリットを全部県外の人たちが持っていっている。そのシステムを、ご縁を使って変えていくことが大事です。たぶん山梨県は縁を少しずつ結んでいくと、縦糸横糸で新しい模様を作ることができると思っています。

笹本 その昔、ドライバーは見下した呼び方をされていました。この世界を変えるには何をすればいいか。こちらが品格を備えなければ相手の見方は変わらない。その品格はどうすればできるか。やはり、品のいい方たちと接点を持つことではないでしょうか。

私は自分たちの資質、会話の質を上げるために毎月、ミーティングをしています。自分が何を受け取りたいかと考えたときに、まずもって何を与えられるか。与えたものが受け取るものなのです。

今日のテーマの「一華開五葉 結果成自然」、一華五葉に開くんです。でも、その開き方はその先の結果につながっていく。今やっていることは明日答えが欲しいと思うものですが、その答えはすぐには出ません。ミーティングを半世紀近く続けたことで、ようやくトークショーなどを企画して、皆様をお迎えできるレベルまで社員が成長してくれたように。

ご縁をつなぐ秘訣は?

司会(大谷) 笹本さんや舩木さんのように物怖じしない人はいいのですが、ご縁の種を見つけたとき、もう一歩進むにはどうしたらいいでしょうか? 

笹本 ひとつ言えることは、相手が判断することの答えは相手に出させてください。こちらはこちらの答えを出してください。だから私が誰かに会いたいと思ったら、それを伝えればいい。その伝え方は、やはりきちんとした態度で相手を立てることです。

相手を立てれば、立てたほうも光る。それは第三者が見ているからで、常に第三者が見ているということを意識してください。私は社員に「感謝と謙虚と思いやり」と言っています。これがあると、失礼な態度はとれないんじゃないかな。舩木さん、どうですか?

舩木 最近わかったことは、どんな偉い人も大したことないってことです。逆にどんなにバカだと思っている人でも、大したものなんです。人間にそんなに差はないんです。そういう中で、誰がいちばん強いのか。それは知らないことは知らないと言える、へりくだらない人です。自分自身がどんな状況であっても、人間としてのプライドを持ちながら知らないことを知らないと素直に言えれば、どんな人とでも付き合えると思います。

最終的に、幸せだと思っている前向きな人が人生の金メダリストですよ。そして、自分自身の素直な気持ちを相手に伝えて、前よりも今日、今日よりも明日、ほんの少しずつ知識が増していくことに喜びを感じることではないのかなと思っています。知らないことは恥ずかしいことではない、知らないことを恥ずかしいと思うからみんな臆病になるのです。

笹本 逆に、知っていることでも知らないと言ったほうが知識の確認にもなるんですよね。

飯田(多) ご縁のエピソードをひとつだけ。埼玉の友人宅に行った帰りに電車に乗っていると、シニアの一団が乗ってきまして、俳句のお仲間のようで「吟行が楽しかった」とお話しされていました。「次の吟行はどこに行こうか?」という声が聞こえたので、決心して「すみません。吟行に行かれたんですか?」と声をおかけして「実は私はこういう者なんですが、吟行にいかがでしょうか?」と、ちょうど持っていた山廬のパンフレットと名刺をお渡ししました。

そのとき、相手の男性の方も名刺をくださったので、急いでその件を主人に伝えました。すると早速ご連絡があり、ほんとうに山廬に吟行に来てくださいました。しかもその男性は山廬文化振興会の会員になり続けてくださっています。そういうご縁もありました。

飯田(秀) ちなみに耳慣れないかもしれませんが、吟行とは、俳句や歌を詠むときに、目的地を決めて、その目的地で歌を詠んだり俳句を作ったりする楽しみ方のことです。

大西 図々しくなるにはどうしたらいいかというお話がありましたが、私は「向き不向きよりも前向き」という言葉を心に持っております。アナウンサーで入社して、報道部で記者もレポーターも経験し、今は制作部でディレクターや番組の責任者をしております。

いろいろなところを転々とするたびに環境も変わりますし、仕事内容も変わります。それこそ知らないこともたくさんありますが、それでも前向きにとらえられれば何とかなると思って取り組んでまいりました。これからもよいご縁がつながっていきますように。

司会(大谷) 本日はほんとうにありがとうございました。