ダウン症の書家、金澤翔子さんのお母様、金澤泰子さんと対談させて頂きました。
「清潔な現場と綺麗なトラックで “人から人”へのお客様の気持ちを大切に、安全・安心輸送で社会に貢献する。」
これは私たちの企業使命ですが、人から人へというのは、まさにご縁をつないでいるにほかなりません。
考えてみれば、わたくし笹本清美はここ一番の大切な時にいつも誰かの言葉に勇気をもらい、救われてきました。そんな素晴らしいご縁によって得た言葉を大切にしていきたいと思います。
さらに素敵な言葉に出合いたくて、わたしが日ごろから気になっている方と人生や仕事について対話を行ないます。
今回はダウン症の書家の金澤翔子さんのお母様、金澤泰子さんと語り合います。
第1回
ゲスト
金澤泰子さん
悲しみの淵から無上の喜びへ
――ダウン症の書家・金澤翔子さんを育てた母の思い
主宰 白根運送代表取締役社長 笹本清美
協力 PHP研究所
構成 若林邦秀
写真 小池彩子
プロフィール
笹本清美(ささもときよみ)
1954年生まれ・会計事務所勤務を経て白根運送に入社。92年に先代の父から社長を引き継いだ。主に飲料水などの食品を取り扱い、倉庫業、請負業も手がける。社員教育の一環でお茶席の体験などの文化体験会を積極的に行なう。裏千家助教授。松下幸之助経営塾第1期生。
金澤泰子(かなざわやすこ)
1966年、明治大学卒業。書家の柳田泰雲・泰山に師事。90年、久が原書道教室を開設。東京藝術大学評議員。日本福祉大学客員教授。著書は『心は天につながっている』『悲しみを力に』(以上、PHP研究所)、『天使の正体』『天使がこの世に降り立てば』(以上、かまくら春秋社)など多数ある。
◆ビリにはビリという地位がある
笹本 ダウン症の書家・金澤翔子さんの作品をはじめて見たのは、十数年前のことでした。その力強い書に感銘を受けるとともに、このような素晴らしい作品を生み出されるまでには、ご本人のご努力に加え、お母様をはじめ周囲の皆さまの計り知れない愛があったからではないかと拝察しました。
いったいそこにどれほどのご苦労があったのか、また私たちが知らないどんな喜びや幸せがあるのか、お母様にお会いして、直接お話を伺いたいとずっと願っていました。本日、10年越しの思いが得難いご縁を引き寄せてくれ、金澤泰子様と対談の機会をいただくことができました。
まずは、翔子さんがお生まれになったころのお話からお聞かせいただけますか。
金澤 翔子が生まれたのは、1985年です。障害者が今のように受け入れられ、認められていた時代ではありません。初めて産んだ子がダウン症だと知らされたときは、絶望の淵に突き落とされたような気持ちでした。
それは想像を絶する苦しみです。「どうかこの子のダウン症を治してください」と涙を流し神に祈る毎日でした。翔子は母親の涙を見ながら育った子です。こんな母親にも、彼女はずっと微笑み続けてくれたんです。私は翔子の優しさに救われました。
笹本 とてもつらい時間を過ごされたわけですが、そこからどんなふうに気持ちを整理していかれたのでしょうか。
金澤 小学校1年生から3年生までは、普通学級に入れていただきました。翔子は何をしても最下位で、渡り廊下を歩くこともできませんでした。みんなの足を引っ張っているのではないかと思って担任の先生にお詫びを申し上げると、先生はこうおっしゃったのです。
「いいんですよ、金澤さん。翔子ちゃんがいると、クラスが穏やかになるんですよ」
そのときはじめて「翔子にも受け入れてもらえる場所ができた」と思いました。翔子はいてもいいんだ。ビリならビリという地位がある。翔子がいることで、まわりのみんなが優しくなれるんだったら、それでいいじゃないと。
◆人は誰でも認められたい
金澤 大きな転機になったのは、翔子が20歳になった年に個展を開いたことです。これが思いのほかみなさまに評価されまして、そのころから翔子が明るくなりました。
それまで翔子には爪噛みのクセがあったのですが、個展をきっかけにすっかり治りました。他人に認めてもらうことが初めてだったんです。「そうか、翔子は寂しかったんだ。自分を認めてもらいたかったんだ」とそのとき気がつきました。
それ以来、彼女の存在を認めて大切にすることが、私の指針になっています。
笹本 論語に「人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患う」という言葉があります。これは、「人が自分を理解してくれないと悩むのではなくて、自分が人を理解しないことに悩むべきだ」という意味の警句ですが、裏を返せば、それほど誰でも自分のことを認めてほしいと思っているということです。この気持ちは大きいんですね。
「成績」という尺度でしか世の中に認められないと、勉強が苦手な子どもたちには自分を認めてもらえる場所がありません。だから、暴走族という迷惑行為をしてでも自分を認めてほしいという若者が出てくるんです。あれは「オレはここにいるんだ!」という気持ちの発露です。
金澤 人間にとって大きいですね、その思いというのは。
笹本 勉強ができる人間も、勉強ができない人間も、生きていることに変わりはありません。勉強が優秀でなければ、生きていく価値はないのか――決してそんなことはありません。
生きる価値はみんなにある。だとすれば、暴走族の子も、そうでない子も、同じ価値を持っているはずです。彼らは社会でどのように生きていったらよいのか、その方向性や原理原則を教えられていないだけです。ちゃんと道を示してあげれば、彼らだってしっかり仕事ができるようになるんです。これは何十年もそういう子たちとつきあってきた私の実感です。
時間はかかるかもしれない。でも、彼らはここにいるし、彼らは生きているんです。まずそれを認めることから、大事にしていきたいですね。
◆「般若心経」で書家としての基礎ができる
笹本 翔子さんにはいつごろから書道を教えられたのですか。
金澤 普通学級へ行くことが決まったころですね。私が書道教室を開けば、翔子にもお友だちができるのではないかという思いもありました。そこで翔子にはじめて筆を持たせたんです。翔子は小さいころから、父母や祖父母が筆を持つ姿をよく見ていました。そのせいか、はじめから筆の持ち方が上手でした。
笹本 書はやがて翔子さんが輝くきっかけになるわけですが、なかでも10歳のときに書かれた般若心経は圧巻です。
金澤 4年生に進級するときに、それまでの普通学級ではなく、身障者学級のある学校に転校してくれと言われたんです。せっかく楽しく通っていたのに、それが苦しくてしばらく学校を休むことになりました。でも、時間だけはあります。そこで、無謀ではありましたが、翔子に般若心経を書かせることにしたんです。何か一つ作品を作らせようという一心でした。
朝から晩まで叱られ続けながらも、彼女は書きました。
翔子は人に喜んでもらうために生きているような子です。彼女は母親が苦しいことを感じているんです。書道をやっていれば母親が喜ぶので、どんなに叱られても書き続けました。
半年以上、そんな日々が続き、10組以上の「般若心経」が完成しました。これによって、翔子に書の基本が身につきました。あの時間がなければ、彼女は書家にはなっていなかったかもしれません。
笹本 「いつまでにこれができないといけない」というような焦りはありませんでしたか。
金澤 障害を持つ子の親の思いは、「自分が死んでから、この子は一人で生きていけるだろうか」しかありません。何者かにしようとか、立派な子にしようという希望は持てません。ただ目の前のことをこなしていただけです。
でも、それがかえってよかったのかもしれません。母親が立派な目標や希望を持っていなかったからこそ、いま翔子はのびのびと暮らせているのだと思います。
◆「天の恵み」を生きる
笹本 翔子さんはいま、一人暮らしをなさっているのですね。
金澤 翔子が一人暮らしなんてできるわけがない、と私は思っていました。彼女は敏感ですから、「この子は一人で生きていけるだろうか」という母親の思いを感じ取って、自分から家を出たのです。
あれからもう7年が経ちます。お金の計算もろくにできませんが、彼女なりのやり方で何とかやりくりしています。
笹本 お話を伺っていると、一見マイナスに見えることが、翔子さんにとっては全然マイナスではないことがわかります。
金澤 翔子は本当にマイナスがない子です。翔子を見ていると、この世界の本当の姿が見えてくるような気がします。学歴や成績など、いま私たちの目から見ればマイナスに見えることも、100年の人生の中ではどうでもいいことばかりです。
知的障害のある子にとっては、相手の社会的地位や経済力なんて、まるで関係ありません。それよりも、杖をついたおばあちゃんとか、けがをした人、悲しい思いをしている人のほうに心が向かいます。
慈悲の心で人とつながると、翔子にも返ってくるものがあります。「あのとき翔子ちゃんに救われました」と言ってくださる方もいます。
笹本 救っているという意識はなくて、自然に人の心に寄り添うことができるのでしょうね。
金澤 知的障害は、天の恵みです。
私たちが使う数字といえば、点数とか貯金とか、努力目標みたいじゃないですか。数字がわからないことで、それらに振り回されなくてすみます。
言語障害も、じつにいいことです。私たちは、そんなにしゃべる必要なんてないなと思います。
損得勘定がないから、翔子は苦しまないんです。そして、自分が何かを得ることよりも、みんなに喜んでもらいたいという思いしかないんです。一見、損をしているように見えますが、全然そんなことはありません。幸せいっぱいの子です。
笹本 本当はみんな天の恵みの中で生きているんですよね。翔子さんの姿を通して、私たちは改めてそのことに気づかされます。本日は素敵なお話をありがとうございました。